「問題集の答えは見るな」そのココロは?
2022年08月18日
2学期始業式で生徒に話した内容です。
コロナの影響がなかなか収まる様子が見えてこない状況が続いています。
引き続き学校でも家庭でも十分な感染対策を心がけながら、生活したいものです。
夏休みを皆さんどのように過ごしたでしょうか。
1学期の終業式前後から、各部活動での大会出場など頑張ってくれました。
野球部の県大会、7月末から8月にかけて全国総体や総合文化祭、放送、吹奏楽、合唱部のコンクールなど、暑い中全力で取り組んだ結果、立派な成績を残したと思っています。
また3年生にとってこの休業期間は、「夏を制するものが受験を制す」といわれるほど意味の大きい期間とされていますが、特別講座など自分の納得できる取り組みができたでしょうか。
夏季休業を終えて2学期のスタートの今、生活を振り返って今後の取組をさらに工夫してください。
今日話をすることは「問題集の答は見るな そのココロは?」です。
私が高校3年間数学を教えてもらった先生が、ある日の授業で驚くような話をされました。
数学の問題演習の時に、解答を板書した同級生が、黒板の前で問題集の後ろにある答を確認している様子を見て「答を見るな」と言われたのです。
私は、あらかじめ問題を解いていなかったことをとがめる意味で言われたのかと思いましたが、そうではありませんでした。
先生は、「自分が出した答ならそれに自信を持て。後ろの答を見る必要はない」と言われたのです。
先生の発言の意図が理解できない私たち生徒は「ではいつ答を見ればよいのか、いつまでも正しい答えがわからないままでいいのか、家に帰って見るのか」と質問すると先生は、「最後まで見る必要はない。私は数学の問題集の解答など破って捨てればいいと思っている」とまで言われたのでした。
先生はこれ以上この言葉の意味を説明することはされず、授業はそのまま内容が進んで終わりました。
ただ、この時の状況はいつまでも私の頭の中に残っていて、あのとき先生は何を言いたかったのだろうとずっと疑問に思っていました。
その「ココロ」が、最近になって私なりに理解できたのでそれをお話しします。
問題集の答を確認するのは、自分が身につけた知識や技能が間違っていないか、誤った理解をしていないかを確認するために必要なことです。これを否定することはありません。
ただ、これは正しい答えが決まっているからこそできることであり、答えのない課題に対しては、そもそもできることではありません。
日常生活していると答えのない課題があふれています。
これらの課題を考えるときに、自分の導いた結論や判断が正しいかどうか答え合わせをすることなど意味がないですし、そもそもできないのです。
では答えが見つからないままでよいのか、もやもやしたままでよいのかというと、そうではなく、答えとして考えるものは、他者との対話や議論から導く「最適解」であると思うのです。
「自分はこう考える」とか「自分たちの立場からならこうだけど、条件を考えると難しい」などという意見をお互い交わしながら、その状況で考えられる最適な解を導くことが、答えのない課題に対する一つの区切りだと考えています。
そしてその最適解を導き出すときに必要となるのが、「読む力」「書く力」「伝える力」だと考えています。
2学期は紅陵祭や課題探求活動、県外研修など、様々な行事が予定されています。それぞれの場でまさに答えのない課題が生じ、クラスや各色などのメンバーで協力して取り組む場面が出てきます。
こうした機会を通じて、「読む力」「書く力」「伝える力」を養うと同時にそれらを発揮しながら、有意義な取組にしてください。
一方で、3年生にとってはこれからが進路実現の正念場です。
学習のために取り組む問題集で、答を確認しながら、入試を突破する十分な力をつけてもらうことが大切であることはいうまでもありません。
学校としてもしっかりと取り組んでいくのですが、それがすべてではないことを伝えたいと思って、今日はこの話をしました。
それではそれぞれの目標を目指して、皆さんにとって実りある2学期になることを願っています。